「依存」は必ずしも❌ではない
どうも、ちこです。
突然ですが、わたしには、同棲している彼氏がいます。
最近のこと。
夜に友達とご飯を食べに行き、0:00くらいに家に帰った日がありました。
すると彼氏が起きて一言。
「久しぶりに1人だから寝られなかった・・・。寂しいし、違和感がすごくて。」
それを聞いたときは、大げさだなあ、と笑ってしまいました。
だけど、昨日の夜久しぶりに1人で過ごしていたら、何かしっくりいかなくて。
「これか!何かが足りない感じ。いわかん。」と彼の言葉を実感したのでした。
その時、わたしは少し前に複数の人から言われた、ある言葉について考えていました。
それは、わたしと彼氏が今、同棲していて休みの土日も一緒に過ごすことが多い、
という話をしたときのこと。
「それってなんだか、依存してない?」
「お互いに、別々の趣味を持ったほうがいいんじゃない?」
という言葉をもらったのです。
わたしは、「依存」という言葉の強さに少しびっくりして、
今のわたしたちの関係っておかしい?と考え込んでしまいました。
そのもやもやを、「同じことば」で話すことのできるあるお姉さんに伝えると、
「別に、2人でいるほうが居心地がよくて、楽しいのならその時間が大きくなるのは
自然なことなんじゃない?それに、生活を共にするのなら、いい意味で依存していくってことだと思う。」
と話してくれました。わたしはハッとしました。
「依存」ということばはどうしてもマイナスなイメージがあるけれど、
それは必ずしも「ダメ」なことではないんだな、と。
金銭面・生活面・精神面でそれぞれが自立していて、自分の足で立つことができているのなら、依存できる相手がいるということは、安心につながることなのではないかと。
実際に、Twitterで上記のエピソードをつぶやくと、
「依存がすべて悪いわけじゃないよね」
「信頼感と距離感が保たれているのなら、それ以上に安心できるものはないと思う。」
「好きな人といたり頼られたり頼ったりというのはいいことだと思う。」
などなど、コメントをもらいました。
そのコメントを読んで、みんなどこかでは寂しくて、穴があって、それを肯定してくれる人を必要としてるんだなあ。と感じました。
そしてそれは、人間として当たり前のことなのでは?と私は思うのです。
1人で生きていかなきゃ。とか、人を頼っちゃいけない。なんて思う必要はない。
どんどん人とつながろうとしていいんだと。
そう思うと、心があったかくなったような、そんな気がしました。
ではまた。